2008年07月23日

三千世界の烏を殺し…ふるあめりかに袖はぬらさじ

 

舞台を撮影して映画館で流す「シネマ歌舞伎」なるものを見てまいりました(ええもうかなり前ですよ)。
歌舞伎座でかかった時に観損ねていたので。
7月は歌舞伎座で歌舞伎がやってなかったので、などと毒を吐いてみたりしつつ観にいきました。

有吉御大の戯曲で杉村春子さんにあてて描かれたものを玉三郎が“歌舞伎として”再演。
劇場ではチケットを売るおねえさんも慣れていないらしく「ふるあ…めり、かに………すそは?…ぬらさ、じ…2枚ですね…!」と復唱されました。

…まあそれでもいいです。
涙は裾で拭かないですけどね。

というわけで、ルーナ先輩を連れて有楽町へ。



長すぎて(?)途中休憩があるのです…昔の映画みたいでありました。
長いと言っても三時間強ですので、ただ上演時に休憩が入ったのでそれに倣ってお休みが入ったのだと思いますが。

とりあえず有吉御大はおんなの人生が転がり落ちていく様がリアルでした。
女性作家だからか、おんながおちていく様を容赦なく描いているのでした。

横浜の遊女屋では、異人専門の遊女である唐人口と日本人の客しか取らない日本人口に分かれていたそうで、そんな横浜の遊女

遊女に七之助、芸者に玉三郎、遊女と恋仲になる通辞(通訳)に獅童。
遊女屋“岩亀楼”主人に勘三郎、唐人口・マリアに福助。

攘夷侍に三津五郎・橋の助・勘太郎・海老蔵…など、ある意味鉄壁の布陣を引いた感じでありました。


玉三郎はおひいさまや絶世の美女じゃなくて、こういう芸者があうなあと思います。
アル中の芸者で、しかし芸と愛嬌があるからどうにかやってこれたという中年の芸者。

ある日、吉原でかむろのころから可愛がっていた亀遊が、恋仲になった通辞以外の男と寝ることを哀しんでかみそりで首を切ってしまう。
その顛末が“攘夷女郎”として、尊皇攘夷の志を持った者たちに興味をもたれてしまう。
そして、芸者はその可愛がっていた女郎の死に様を、人々が喜ぶように少しずつ嘘を膨らませて亀遊を“立派な攘夷女郎であった”と話を大きくして語っていく。

可愛がっていたことも本当、女郎の恋心を知っていたのも本当、女郎が自刃したのもほんとう。
でも、その死へ向かわせた想いを騙ってしまう。
流されやすくて、でもなんか一生懸命で、だからこそ滑稽な。

そして女郎と恋に落ちた通辞は、とにかく身勝手で、彼女を連れて逃げることもせず、全てを横浜に埋めてアメリカへ医師修行に出てしまう。
その薄情な身勝手さが…獅童の芸風と驚くほどしっくりと馴染んでいて……ねえ、まったくですよ。
この人もある意味芸の肥やしにしたのかもしれません。
とはいえ、相変わらず着物姿の腰が据わってなくて映像で見ててもガックリしますが…

女郎が七之助。
“消えかかったろうそくの火のような”と表現されるにふさわしい雰囲気でありました。
勘三郎が…商人ということで大阪弁なのにどこかしらべらんめえ(“ひとりおります”が“しとりおります”になったり)。
なにがなにやら。

福助さんもどうしようもない化粧をして“鬼も食わない”唐人口女郎としてオマケ出演。
…あなた脇役ですよー…てくらいやりたいほう題して、最後は玉三郎に窓の外に分投げられる…

 
posted by 海野モノトモ at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 歌舞伎 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。