2008年08月19日

どうせ死ぬなら大人になんてならなくてもいい…野田版愛陀姫/紅葉狩


何作観てもダメなものはやっぱりダメなんだろうか?
同じく三敗したのが野田歌舞伎です。


野田監督の、キルは凄く面白かった。
でも歌舞伎の研辰と鼠小僧はまったく心に響かなかった。
研辰はラストをいじったことによって原作の本質を変えてしまって、何だか凄くつまらないものになってしまったのが納得いかなかったし、鼠小僧は冗談みたいなキレイゴトを並べていたことにものすごい違和感があったし。

ていうかあんまり歌舞伎と野田さんの相性自体いいとは思えず…
でも観に行く福助さんが出てるしね!

というわけで見てきました愛陀姫。



紅葉狩、若手の勉強演目だろうから眠くなっちまうかなあと思っていたのですが。

更科姫実は戸隠山の鬼女に勘太郎、平維茂に橋之助、そして山神に巳之助。

どういうことだかそれぞれとってもよくってビックリした…。
それぞれにこの演目にかけてたんだなあと思った。

見事な絵面でありました。


そして、対象的なのが「野田版 愛陀姫(あいだひめ)」。
オペラのアイーダを歌舞伎に翻案。話は王家に捧ぐ歌と同じです。
あっちの方がおもしろかったなーだって兄さんがかっこよかったしファラオがブランコ乗ってたし。

美濃の斉藤道三の娘・濃姫に勘三郎(アムネリス)。
愛陀姫に七之助(あいだひめ→アイーダ)。
木村駄目助左衛門が橋之助(きむらだめすけざえもん→きむラダメスけざえもん…てことでラダメス)。
祈祷師荏原・細毛が扇雀・福助。
愛陀姫の父・織田信秀に三津五郎。

とにかく怪気炎をあげていたのが福助と扇雀(たぶんオリジナルキャラ)。
主役かアンタら…てくらい。
いかさまの占い師が、人の顔色を読むことを覚えて“ホンモノの占い師”になっていくその不気味さ。
そして人間の業を愚かなほどに背負い、そして強く滑稽に生きている。

後の人間は名前がおもしろいだけで、人間性はうっすらしていた気がする…
キルのひゃくぶんのいちくらいのおもしろさでした。


最近外部の演出家が歌舞伎を演出することが多い。

串田さんは歌舞伎に自分を投じて歌舞伎を演出する。
野田さんと蜷川さんは歌舞伎の一部分を吸い取って歌舞伎っぽい野田演劇&蜷川演劇をやった(特に野田さんは第一作目で歌舞伎を演出して失敗したっぽいためと思われる)

蜷川さんが十二夜を歌舞伎にした時も思いましたが、翻案モノはどうしても逃げ腰のように感じられるのです…
だってそれって別に歌舞伎座で一ヶ月かける必要なくね?というところに落ち着くのであります。

古典として固まりかけている作品に(歌舞伎には演出家すらいないので)外部の演出家がどうやってイキを吹き込むか。
それをこそ歌舞伎座で見てみたいなーと思うんですが。

 
posted by 海野モノトモ at 22:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 歌舞伎 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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