2008年11月27日

月組追記っぽいヒトリゴト

 
ママはテンパリストを読んでいると、育児漫画なのに蝶の男やらジェラールやらがチラリと出てきてニヤニヤします。
4歳児の蝶の男コスプレ…ひがしむらせんせいは天才だなあ!


先日、旅から帰ってきて半分寝ながら大野先生の悪口を好き勝手に書いたままほったらかしにしてた最低なひとは私です。

もうちょっと月組のひとびとのことを書きたいなあと思いつつ、なんだかものすごく忙しいと思ったら、月曜日が祝日で火曜日有給だったので5日分の仕事を3日で…そりゃあ忙しい。

早く宙組を見ないと!
師走だから走るように終っちまうー。



 

官職オタクであることを差し引いたら、大野先生は素晴らしい作家なのだなあと思いましたが、大劇デビュー作なのですね。
観客を置いてきぼりにしかねない、その青さも楽しめということかもしれません。

大野先生が紫の上を亡くして憔悴する晩年の光源氏を“美しい傀儡”と表現した時に心に美しい辞書をお持ちだと思ってぐっときました。

ただ、源氏物語は、必ず罪と罰が相似形になって描かれている。
藤壺と光源氏、女三宮と柏木がいちばん大きな例。
紫の上は、光源氏が自分のむこうに藤壺を見ていたとしても、源氏を愛し抜き、だからこそ源氏も紫の上を愛した。
浮舟と薫の関係性は、ふたりの関係があったからこそ描かれたものであり、血の繋がっていない息子が同じ過ちを繰り返そうとしている…というドラマチックな空虚みたいなものこそが源氏物語の面白さだと思っているので、実は宇治十帖を切り取って上演するととたんに物足りない感があるのはそこなのかもしれません。


………結局私は源氏物語が好きなんですよーだ(…なんだか意味もなく負けた気分)。

 

原作の匂宮はえもいわれぬ芳香(体臭…?)を放つ薫に負けるものかと香を焚き染めて宮中に上っていた。
彼は薫に憧れ、だからこそ彼を越えたいと思い、薫が想う浮舟に手を出した。

タカラヅカ版は、本気になるのが怖くて避けてきたという理由付けされたプレイボーイの匂宮ですが…これももしかしてあてがゲフンゲフフン。

…まあ、とにかくおんなのこたちにとっちめられてるせなじゅんがかわいかったー。
おとなしく挙手とかしててさいこうでした。
ああいうせなじゅんが大好きなのです。
ちなみにアーネストが好きすぎて月版DVDを2枚持ってます(人に貸しているうちにどうしても見たくなって、買ってしまったという…人生最大の衝動買い)。


それはともかくですね、所謂奪う方を正当化(主人公に)する時には、奪う方に奪う強烈な理由があって欲しくもありましたが、自分に負ける形で薫の想い人を奪うというかたちもありなのかもしれません(薫にうっかり同情しちゃったけど)。

思い通りに生きていける人間なんていないとあいっこに言われて、不安になって浮舟にすがるその弱さというか、成熟しきらない危うさみたいなところが、せなじゅんの真骨頂なのかも。


一方薫は父親に罪の子よと言われ、母にも罪の証と愛されず、好きになった大君は早逝。
愛を否定されることが怖くて愛しきれず、そのせいで他者から愛されないというデフレスパイラルの悲哀。
匂宮が薫にライバル心を持っているのと同様に、軽々と人を愛する匂宮へのコンプレックスもあった。
きりやんの硬質な感じが、こころがガチガチに凝り固まってしまった男のさまとぴったりあっていました。

結局はふたりとも、相手をきちんと見ていない。
そして、相手をきちんと見た時に、これからも相手を見ずにおのれの使命を遂行していくことを決断するというシビアな結末を迎える。


そして浮舟。
浮舟に意志があるのが面白いなあと思った。
原作では川面に浮く舟のごとく川の流れに逆らうことなくふらふらと流れていくように匂宮と薫という岸の間をふらふらした挙句、どこにも着岸せずにつるつると水に乗って流れていく舟のような女。
タカラヅカ版はわりと激情型だった。
自分のむこうに大君を見ている薫に満足できず、自分を求めてくる匂宮を愛し、そのせいでさんにんのギリギリで保っていた関係を崩してしまう女。
しずくちゃんは大変たおやかでありましたが、もっと小悪魔的でもよいのでは、と思いました。
それでも激情型に見えたのは、せなじゅんの巧みなリードのおかげかもしれません。


あとギュン次郎(りょうがさん)は、ギュン太と顔が似ているだけあって、声も似ていると思いました。
随分芯のある声になってきたなと思いました。
でもショーの銀橋渡りはギュン太の負けっぷり殿の時と同じくらい心細さが伝わってきて、どきがむねえっとして手に汗握った…ラストの絶叫オーレがまた強がり風で、ある意味キュンとしました。

 

そうそう、なんで匂宮と薫のやり取りが少ないとぶーたれてたのかなあわたし…と思ったら!
公演ポスターを見て期待を膨らませすぎていたからだということが分かりました…。

だってあのポスター見たらやっぱり匂宮と薫の愛憎(時々…恋!?)を期待するわけじゃないですか。
男子どうしに拘る大野先生だしさ!
実際見て、浮舟があんだけ出てくるなら彼女もポスターに出して欲しかったと思った…というのはタカラヅカのオトナの事情とやらが許さないんだろうけど、大体ポスターってどんな話をやってるかを広くお知らせするものなのにさ…ブツブツ


それにしても今回の公演でいちばん痛感したのが、トップ娘役の不在(単にわたしが娘役が好きだからかも)。

トップとは、わたしにとっては対であって欲しいものなので、もともとが対だったものがそうでなくなった時のモゾモゾ感がなんとも言えなかった。

世の中には対であるとおさまりのいいものというのがあって、男女でなくても、例えば狛犬が1匹ってことはないし、阿吽の像が阿像だけってこともない。
狛犬やお稲荷さんが1体しかいなかったら「もう一体はどうしたんだろう…」と思ってしまうように、何だか落ち着かないのでした。

ソロモンみたいな(トップどうしがほとんど組まない)ショーを、過渡期の月組でやったら面白かろうと勝手に思ったのでした。

制作側で演目ごとにトップ娘役をかっちり決めてしまえばいいのに、何だか煮え切らない感じだった。
芝居ではしずくちゃんを、ショーではあいっこをトップとして扱うとかさ。
今回の芝居で、あいっこ活躍しすぎだ…(好きだから私は満足だが)。
あいっこはただでさえものすごい押し出しのお嬢さんなのに、アレだけ見せ場があったら我こそ主役みたいな存在感になっちゃうもの(私は嬉しいけど)!
もっと浮舟にスポットライトが当たっていたら、三人三様の想いみたいなものがしっかり浮き上がってきたでしょうに。

ショーでは言わずもがな、大活躍でしたし。
相手役がいないというハンデを背負って舞台に独りで立たねばならないのはせなじゅんなのだから、制作側がきっちりしなくちゃいかんだろうと、せなじゅんのひとりデュエットダンス(?)を見ながら思った次第です。
posted by 海野モノトモ at 02:27| Comment(2) | TrackBack(0) | 月組 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
私も先日、見て来ましたよ〜・
宇治十帖だけなぜか読んでなかったので、あさき・・・を借りてきて予習していきましたが、分けがわからず終わりました。。
感想は、モノトモさんとほぼおなじです。

やっぱり、「薫と匂の宮」のふたりがあってこそ、だと思うのですよね。
でもこのふたりの関係性が、あまり描かれてないところへ、浮舟の取り合いだ〜。と言われても・・・・?

浮船も、薫とのつながりが見えにくくて、原作知らなかったら「いいじゃん。匂の宮で」てつっこみたくなります。


芝居もショーも、「麻子さんがひとり・・・・」っていうのが、とても印象に残ってしまいました。。
やっぱりちゃんと、対になる方がいてほしいですね。。。
Posted by はまぐり at 2008年11月30日 09:41
>はまぐりさま

お返事遅くなってすみませんです。
もう東京公演も終わりを迎えてしまいました…。

“いいじゃん、匂の宮で”

に大爆笑でありました!確かに!!

どうもこうも物足りなくて、せなじゅんによく出来た嫁が来ますようにと初詣の時にお願いしてきました…

はまぐりさんがマルグリットを見るのは梅田でしょうか?
………すっごくお楽しみに!
Posted by 海野モノトモ at 2009年02月12日 02:07
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