2009年03月15日

そしてぼくは 冷たい人間の仲間入り…マルグリット


こっそりと日比谷へ。

ほら平日昼間公演は、仕事中なもんで。
でもさ、日比谷なバンバリーで友人が危篤なもんで仕事はさておいてお見舞いに行かねばならんのですよ!(懐かしい言い訳)


えー、今日は詳細レポートというより、ちょっと思春期モードでお送りいたします。
さんじゅうを過ぎても思春期病が完治してないものですから…。


 


二回目はぐんと日生劇場という空間に馴染みつつ、しかし魔の二回目というか、姫様がついに作詞まがいのことを…(アルマン宅にほっかむり(…)であらわれた時の歌で、最後の方で歌詞を飛ばして先に歌が終わってしまい、二小節くらいハミングっぽい感じに…)。


そして、やっちまってからが姫様の本領発揮なのは周知のことかと思います。
いつにも増して素晴らしい死にっぷりでした。

最初の虚飾にまみれたような美しさから、どんどんこの世ならざる聖性をまとって行き、聖性が極まったところに死がありました。


マルグリットを観るたびに、人間の姿をリアルに描いているのは、対独協力者たちかもしれないなあとつくづく思うのです。


BJCの初期の名曲にディズニーランドへという歌がありまして。

ノイローゼになって世間からつまはじきにされている友達にディズニーランドに行こうと誘われて、もちろんいいよと約束するけれど、でも本当は行く気なんかない。
彼と一緒にいるのは恥ずかしいから。
でも、そんな考えは彼を排斥しようとする世間と何ら変わることはない。
結局、自分も冷たい人間の仲間入りだ。

という、思春期度マックスな歌なのですが。
マルグリットを見た後はいっつもこの歌を思い出します。


マルグリットをリンチする群衆の中に、かつての対独協力者たちもいる。
知った顔を見つけたマルグリットが手を伸ばしても、彼らは突き飛ばしリンチに加わる。

彼らを卑怯だとか、人でなしだとか言うのは簡単だと思います。
でも、実際に私がマルグリットのともだちだったとしても、リンチを受ける彼女の前にからだを張って立ちはだかって守ることができるか。
そう考えると出来ない気がします。

リンチに加わることはなかったとしても、助けることは出来ないと思う。
見ないふりをしてしまうかもしれないし、見なかったことにしてしまうかもしれない。

それは、結局リンチに加わっているのと同じだと思うのです。


ルシアンやアネットも同じです。
アネットが救出された二週間前の時点で真実が知れたわけですから、アルマンにそれを伝えていたら。
マルグリットがレジスタンスに協力した時点でアルマンにそれを伝えていたら。

もしかしたら、マルグリットは死なずに済んだかもしれない。
計画を成功させるためという大義名分に逃げ、アルマンを守りたいという言い訳を用意して自分を守る。

彼らも“冷たい人間”であり、でもそれはすなわち普通の人間ということだと思います。
彼らもひとでなしだとか、マルグリットだけが可哀想とか、そういうことじゃないのです。


ただそういうめぐりあわせというか、運命、というか。
マルグリットの死は、マルグリットも含めたほんとうにたくさんの人間の時間が重なることによって生まれる抗えない大きなうねりのようなものが彼女のもとに運んできたさだめだと思うのです。

 

誰も助てくれない孤独というのはいかばかりなのかなあ、とリンチシーンになるといつも考えます。
痛くて辛くて苦しいのはもちろんですが、なにより寂しくて哀しくてやりきれない思いなんだろうなあ。


だから、最期に打ち捨てられた時にアルマンが来てどんなにか安心しただろう。

生きる価値すらないと思っていた自分に生きてきた意味を教えてくれた、と苦しい息の下で言うのを聞いていると、あそこにいても助けたり出来ないだろう自分のことを鑑みて苦しくなります。
だから、マルグリットはせめてアルマンの腕の中で死んでいくことが出来てよかったなあ、とほんきで思うわけです。
 
posted by 海野モノトモ at 01:54| Comment(0) | TrackBack(0) | マルグリット | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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