2006年06月04日

敵は本能寺にあり…月組暁のローマ


日曜日は月組公演[暁のローマ/レ・ビジュー・ブリアン]を観ました。立ち見がぎっしりで大盛況。

まずは、“ロックオペラ”暁のローマ。 
 

皆素敵でしたよ…素敵だったからこそこのダメ脚本が許せない。
そう、ストーリーがねえ、ダメだったんですよ…。

木村先生に言いたいことが山ほどあるので、何日かに分けて描きたいと思います。
……木村先生をほのチューの時とは違う意味でくびり殺したかった…。もう恨み骨髄。
私の愛する月組のみんなに何てことさせるんだ…!!!

この作品、罪はないが、問題は山のよーにある…。
これで金を取る気なのか…ま、愛しの月っ子たちに払っていると思ったら悔いはないのでいいのですがね。

ということで、今日は木村先生を一方的に糾弾したいと思います(いい加減、腹に据えかねる)。


妻への愛と、同志への友情と、カエサルへの尊敬とローマへの愛国心。
それをまとめて“愛”で済ませたのには驚きました。
語彙がないんだか、機微がわからないんだか…。

そして木村先生の世界には、好きか嫌いか、ふたつにひとつであるようです。
ここまで二元論の人だったとは思いませんでしたよ…。
もともと、二元論の物語を作る人ではありましたが、こうなってくると男だ女だ言ってるのがまたアホらしい。
「私は、愛人を20人持ってる男が好き」という女を描くのならいい。
でも「女は愛人を20人いる男が好き」と、一曲使って主張するなよ…違うから。そうじゃないから。

これは、先生の作詞の才能がないのがいけないのか、それとも先生が歪んだ二元論者なのがいけないのか。
ビミョウなところですが、どっちだとしてもイヤだな…

そして、根本的な問題点。
登場人物が全く描かれていない。

この人がどういう性格で、どういう人間で、何を思ってこういう行動に出たのか。
それが全く描かれていない。

先生、それ基本ですよー…。

この作品で描かれるのは、この人物達がいる状況がどういう状況か、だけ。
だから、この芝居に人間が息づいていない。
全ての人物が、その時の状況に沿って思想や人間性を変えて出てくる。

あ、それは役者さんがいけないのではありません。月っ子たちはみんな頑張ってたよ!全部木村先生がいけないんだよ!
今日は木村先生を声も高らかに糾弾する日ですので、あしからず。


カエサル。
この人は賢人だったのか、狂王だったのか。
どちらで描きたかったんだ…。
「カエサルはえらい〜」の歌、最初見たときは皮肉っているんだと思っていた。
無思考の市民を手玉にとって見下ろしているカエサルを、もう一段上から皮肉っているものだと。
……どうやら本気だったようです。
幕が下りた後に幕前に出てきた大阪弁のアントニウスに「カエサルが偉かったのかブルータスが素晴らしかったのか、結論は出ていない(大阪弁で)」というようなことを言わせてましたが、その結論を、お前なりの結論を出す(どう描くかを決める)のが脚本家の仕事ですよ。
そしてそれこそが、キャラクターを作ると言うことであり、演出すると言うことだ。

役者に任せるのもいい、客にゆだねるのだっていい。
でも「結論は出ていない」という答えを強いるのは卑怯だ。

ブルータス
このひと、何もしない。本当に全て受身。
言われたから、暗殺する。失敗したから、死んだ。
ひととして魅力がないんだよ…。
どうしてローマの民から、カエサルから愛されたという男を、どうしてこんな優柔不断な男として描いたのか(せなじゅんは苦悩する表情がイチバンだと思ってこれを描いたなら評価しちゃうけど、そうじゃないっぽい…)。
カエサルを殺したブルータスに母親が「アンタはこれからどうするかも考えずにカエサルを殺したのか」というふうに責めますが、お母さんの言ってることが一番正しいんだな、これが…

カシウス
ブルータスを利用しようとしていた。らしい。
でも、どうやら自分にない名声、愛される要素を持っているブルータスへの嫉妬もあったらしい。
それでも途中から、彼に魅かれたらしい。
利用しようとしていたのはわかった(1曲割いて説明してたからな)。でも、いつの間に魅かれたのか?
いきなり「君が好きだ」(とは言ってないけど)みたいなことを言い出したときは驚いちゃいましたよ…。
彼の気持ちをじっくり書いてやってほしい。
それでこそ最後の「私はお前と共に戦う」という叫びが、どういう気持ちで吐き出されたものなのかが、生きてくるのではないですか。

アントニウス
この人もまた、卑屈なのか、利口なのか、黒いのか、取るに足りないのか。わからん…

会社に寄ってテレビをつけたら、大河がやってました。
明智光秀(三津五郎秀逸!)が、やってました。
時は今。
昔から違う国で歴史が繰り返された、と語られてきたふたつの事件ですが、奇しくも同じ日に目にするとなんだか奇妙な偶然に驚くばかりです。

カエサル→信長
ブルータス→光秀
アントニウス→秀吉

という、わかりやすすぎる構図。

大河では信長は狂王。
朝廷はもはやいらない、我こそが王であると明言し、権力を振るうカリスマの暴走が描かれている。そして、光秀は“自分の野望のため”ではなく、日本の未来のために、時は今の歌を詠んで決意する。

どんな結果に、終わるとしても、彼は私利私欲のためではなく、ただ日本の未来のために。

………テーマまで同じだよ。
しかし、大河は、迷いなくキャラクターが立っている。
キャラクターを描くためのエピソードが溢れかえっている。

これを、暁のローマでやるのは無理なことなんだろうか?
体感回数100回超の無意味リフレイン“カエサルはーえらいー”を50回に減らしただけでも、十分描けると思いますけど。
しかもセリフのやりとりの後の歌で、セリフのやりとりと同じことを歌わせ、しかもリフレイン満載。これじゃあ何も描けませんよ。
ミュージカルの曲とセリフの関係は、セリフ
セリフのやりとりをして、その後の思ったことや、考えたこと、独白が歌であるべきなのでは。
私は素人だが、素人にも安直だとわかるような安直な作詞は辞めてくれ。

 

ふ〜…
東宝では花組ほどではないけど、ある程度通う予定なので(いやしかし、ファントムと同時期かあ…)、もしかしたら見逃したところがあるかもしれないので、ここら辺で勘弁してやる(何様なんでしょう、私…)

次回は愛する月っこたちのことを描きたいと思います〜。
posted by 海野モノトモ at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 月組 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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