2006年09月01日

私は愛の難破船…花組ファントム

今日は1階だけどA席だったので、かねてから一度やってみたかったことをやることにしました。
大王の歌声を、目を閉じて聞いてみる。

私はとっても不器用なので、ふたつのことを同時にできません。
だから観劇中の手拍子とかもほぼ無理…。
なので、常々大王のご尊顔にうっとりしているため、大王の歌声を本当に堪能しているのか、自分でも自信がなかったのです。
しかしほぼ不可能に近いよ…あの美しいお顔を前に目を閉じるなんて…。
でもなけなしの勇気を振りしぼってめをぎゅうっと閉じました(第一部だけね…二部はさすがに誘惑に勝てなかった)。

ええっと、海でした。

春野寿美礼というひとの歌声の海で難破しかけました…。
深い深い声…深海で魂を直接鷲掴まれて沈んでいくような…体の芯まで痺れました。
沈む…沈んでいきます…バミューダよ、遥かアトランティスよ…。
凄いなあ…意味のない歌詞にも音として意味を持たせてしまう。ドレミファソファレファミも巨匠の遺した名詩の如き響き…

あやねちゃんの声は優しくてふくよかですね。包み込まれました。
あとはところどころ音程を頑張って欲しい…。
きほさまの声、華やかで本当に透き通っていて、その透明性は攻撃性に通じるような気がする。
まさに大輪の薔薇のような。棘だらけ。
自信のない音域があるみたいで、そこに来るととてもおぼつかなくて、それがとっても色っぽい。
でも、私個人としてはきほさまにはその音域を克服していただき、彼女が早くキッツイ女の役をやるのが見てみたい!
イヴェットみたいに強がっている役じゃなくて、どこまでも強いおんなを切望。

大王の歌には、伏線を引く力があるなあと思う。
言葉の印象が強く残って、他の歌を聴いているときに、前の歌のフラッシュバックがあることがある。
銀橋のところで「かあさん…」ってエリックが呟いた時、荒野の歌のエリックの様子が目に浮かんだ…。
ところどころでそういう瞬間があるから、物語が厚みを増すのかもしれない。

今日の感激ポイント。
銀橋のところで「僕の母さんのこと知ってたとか?――愛していたとか?」
愛していたとか?がね、囁くみたいにおそるおそる言っていて、キャリエールの返答を聞いて、泣き笑いみたいになってかすかに顔を横に振ってから、水面を覗き込んでいた時のことを話しだす。
ここでもう、自分の父親だって確信していた。
穏やかに言葉を与え合うこのシーン、圧巻です。

死に際、クリスティーヌの歌を聴いている時のエリック、目尻からするすると涙。
死ぬのが哀しいとかじゃなくて、死ぬ時にクリスティーヌの腕の中にいるという安心感のような、じんわりと幸せな涙。
死という大きなできこと自体が無力化されていた。
だからますます、此岸に残される人々は悲しくてやりきれないのかもしれない。

そして、ここでフラッシュバックするのが希望の歌なんです。
エリックが“生きる遥かな道”の、終着点が、ここか。
それは死というよりも、クリスティーヌの腕の中だったのかもしれない。
短い生涯だったかもしれないけど、彼はきちんと終着点までたどり着いた。

今は、ただ安らかに、と思う。
そして彼の魂が歩む“遥かな道”が、音楽によって明るく照らされていますように、と祈ります。

なんといいますか、私毎回本気なんですよー…
posted by 海野モノトモ at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ファントム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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