2006年11月14日

忘れないよ、お前のダンス…雪組堕天使の涙

 

もう見られないと思っていましたが、タナボタ観劇が。
この時期はある意味死に物狂いで働かねばならない時期なのですが、雪組さんには変えられません。
泣きながら縋るひとびとを振り払って行きました東宝。
みんなごめん。徹夜するから許して。

そんなわけで一回きりの東京公演、コムちゃまとまいかぜりらちゃんにお別れをしてまいりました。
 
 
 

きっと物語に対して失望した人にも、その一場面だけで感動させる力のあるシーン。
「光のパ・ド・ドゥ」を踊るリリスとルシファー。

一面のドライアイスをかきわけるように踊るふたり。
それだけの。
それだけのために私はこの堕天使の涙を見たと言っても過言ではない。

リリス。
景子先生はこの人物をどうしてもっと掘り下げなかったのか…私は悔しさにハンカチを噛みましたね。

落ちぶれる前のリリスを描くことで、リリスの置かれた境遇の悲惨さや、それでも穏やかに笑うその強さとしなやかさが無理なく出たはずなのに…。

この物語は、対になる人たちが互いの感情をぶつけ合うカタチを取っている。
たくさんの人間が出てきても、彼らは互いに向かい合って感情をぶつけ合っている。
それが嫉妬であったり、愛情であったり、名誉欲であったり、親子の愛憎であったり。

そういう観点で見ると、リリスにはついになる人物がいない。
ジャンポールと母とはがっつり感情が絡み合っているけれど、ジャンポールと双子であるはずのリリスは、蚊帳の外。
彼女は誰に対しても、感情をぶつけたりしない。
対になるはずの、烈しい感情で結ばれる“パートナー”がいない。
誰にも嫉妬せず、全てを受け入れているから。

そういう状態で、リリスはルシファーの前に現れる。
リリスは悪魔の名前を付けられたけれど、天の御使い、つまり天使として舞台に存在している。
もしかしたら神そのものの化身として(まあ、天使が神の化身の側面も持ってるはずなんだけどね)。

そこで、リリス⇔ルシファー(神⇔ルシファー)という構図になり、そこからが本題であるはずだったのに、景子先生はルシファー⇔ジャンポールを捨てられなかった。
残念ながらジャンポールはママという対比がおるのですよ。
そこからはじき出されたリリスこそ、ルシファーの相手になるはずなのに。

景子先生がリリスをもっと深めていれば、ルシファーと神の関係性ももう少しはっきり見えたんではないかと思う。
でも萌えを優先したくなった景子先生の気持ちもわからないでもないよ…。
それほどにコムちゃまと水先輩の絡みは倒錯的な美に満ちていた。
ラストは須く蛇足でしたが、あなたの乙女的萌心はしっかりと受け止めましたとも。

そんな不完全燃焼キャラ・リリスの描かれなかった大部分の性質を、まいかぜりらちゃんは、少ない場面の中で、全て表現していた。
恋する娘役じゃなくて、愛する娘役こそが、彼女の本質だったのかもしれないと思った。

 
posted by 海野モノトモ at 00:00| Comment(0) | 雪組 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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