2006年12月30日

2006年総括

 

落陽のパレルモから始まりました。
1月2日の初日は、雪が降ってたっけー…

そして3月後半はアパルトマンシネマが始まりました。
恐ろしいハマリっぷりでした。
このブログを立ち上げたのも、この作品からでした。なにがなんでも何かを書き残しておきたかったのかもしれません。
この作品は、観ているひとのスタンスや生き様によって全然違うように見える作品だと思う。
鏡は反射する角度としない角度がある、そんな感じ。
「モノクロの景色」ばかりの世界に落ちたことがあって、それが「突然色づいて」、「あたたかい血が体に満ち溢れ」る感覚を知っている人間には、どーしようもなくキラキラと眩しくてたまらない話だと思います。
この思い出があれば、どんなに辛くても生きていける、という記憶が、意識的・無意識的にひとつでもある人には、たまらない物語なんじゃないかと思う。
この先、どれだけ時間が過ぎても、春が来るたび思い出す舞台だと思います。

そして、ファントム。
愛のファントムでしたね。
花組のファントムはヒリヒリした恋ではなくて、おおきな愛に満ちていた。
大王のエリックは母親に愛された記憶をなによりも大切にしていて、だからこそ、母に似たクリスティーヌにもう一度愛されたいと願う。
かつて愛されたことがあるけれど、それをなくしてしまったから、だからこそ愛を求め続ける寂しいエリックでした…。
クリスティーヌは、そんな彼の寂しい魂にふれて、彼の母になってあげようとした。
エリックにとって、その思いやりは残念ながら哀しい誤解ではあるけれど、それも愛だと思うのです。それは恋ではないけど、でも何よりも大きな慈しみであった。
だからエリックは最期は穏やかに死んでいくことができたのかもしれません。

そして、うたかたの恋。
大王のルドルフは夢想家で、寂しがりだった。
誰と触れ合っていても孤独、空騒ぎをしても孤独。
でもマリーといる時だけ、孤独ではない。
そしていざ死なねばならない時、ルドルフはマリーを連れて行く。
それは、一緒にいたいから道連れにするというより、この子を置いては死ねないと思ったからこその心中だったのでは、と思わせる程に、マリーに愛されたから。
自分が苛まれていた孤独に、マリーをさらすわけにはいかないと思うのも仕方ないほどに、ルドルフはマリーに愛されることによって救われたのだろう。
私は青い服を着たマリーがくるくる回ったりしているのを椅子に座ったまま見ているルドルフが好きです。マリーがすすすと寄っていってルドルフに頬をつけるシーンがありましたが、あの時切なげに目を閉じてマリーの頬の熱を感じているルドルフにもうどうしようもない色気を感じたものです。
誓いを破る5秒前…。
あちこち観に行って本当によかったなあと思いました。


パレルモは治外法権というか、あれはビジュアルショーであるような気がするので、まあ横に置いておいて。
アパルトマンシネマ→ファントム→うたかたの恋
と、さみしい人の魂が、愛によって満たされていく物語ばかりでしたね。

来年はどんな大王が観られるんでしょう。
楽しみです。

それではそれでは皆様よいお年を〜。
 
posted by 海野モノトモ at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 花組 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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