2007年06月16日

親の因果が子に報い…三人吉三

 

コクーン歌舞伎を見て来ました。
渋谷で歌舞伎を観るたびに夏が来るんだなあと思います。

コクーンで三人吉三を見るのは2回目。
パンフを確認したところ前は2001年でした。
まだまざまざと脳裏に張り付いています。

この演目は私にとって特別です。
なんつーか、マニアだよ?
要素が多すぎて語りきれないので、いつにもまして支離滅裂に書いていくと思います…。


歌舞伎って脚本家も演出家も基本的にはいないのですが、串田さんが演出家としてわざわざ歌舞伎の古典を演出する。
その意味が、痛いほど伝わってきた。
黙阿弥の作品を換骨奪胎して見せてくれた。
歌舞伎の要素を取り出して演出するのではなくて、歌舞伎に飛び込んでその中で串田色を出してくれていることに感動仕切りでございます。

始まりは2001年版と同じ、安森屋敷塀外。
安森の屋敷に盗みに入った伝吉が犬に吠え立てられ、そのうち孕み犬をうっかり殺すことから始まる。

通常の舞台では省略されてしまうこのシーンを、無音で要素だけを切り取って見せてくれた(2001年版とは違った演出でしたが)。
そうそうそうこれよこれ!

因果の発端、悲劇の根源は、孕んだ犬を殺したということ。
これが全ての悲劇のもととなる。

百両と庚申丸という名刀が巡り巡って悲劇を拾い集めてきて、最終的には和尚吉三の手の中に全ての絶望が収まるのです。

エレキギターの音と三味線がこれほどなじむとは…(確かに同じ弦楽器だ)。
普段は通常公演と同じ下座を使っていながら、悲劇の種がまかれるときにだけ、エレキギターの音が三味線に絡んでくる。
そういう味付けが絶妙だ。
おとせと十三が出会った時、何かに操られるように惹かれあう。
その後ろには、歪んだエレキギターの音が。
このふたりのかわいらしい恋にも、悲劇の種はまかれていたのです。


一応、主な登場人物を。

■伝吉
和尚吉三、おとせの父。
孕み犬を殺した。

■和尚吉三(勘三郎)
お寺のおぼうさんだったのですが、盗賊になりました。

■お嬢吉三(福助)
私が一番好きな子かもしれません。
振袖姿(つまり女装)の盗賊です。

■お坊吉三(橋之助)
武家のお坊ちゃまが、色々あって盗賊に身を落として盗賊になりました。


呼び名は違えど、みんな吉三郎。
この時代、“郎”は略されることが多かったらしく、吉三郎は吉三(きちざ)、十三郎は十三(じゅうざ)と呼ばれていたようです。

■十三郎
伝吉の娘・おとせと恋仲になる。


やはり眼目は大川端でしょう(だって本当の眼目であるはずの吉祥院裏の場が省略されてたんだもん)。
全身鳥肌立ちっぱなしでした。
今回、型芝居の中にものすごいリアルな仕草を入れていたのが、面白かった。
特におとせと十三が恋に落ちるシーン、そして大川端のお嬢とお坊。


お嬢とお坊のやりとりがー!
白刃を交えての斬りあいなのですが、どこかラブシーンのようにも見えて淫靡な殺し合いでありました。
のちにこのふたりデキちゃいます。
見てくれは男女ですが、男と女装の男のカップルです…。
幕末の爛熟した文化を象徴するような設定だよなー。

福助さんのお嬢が、女のふりをしている時は白痴っぽく、男に戻ればオカマちゃんで…このひと、大王と似た欠け方をしているような気がしてゾクゾクしっぱなしでした。

そういえばお嬢は大川端と吉祥院、通常と衣装が逆なんですよね。
確かに、コクーンは明暗のはっきりした舞台だから大川端で黒い振袖じゃ映えなかったかも。

そして、後ろ姿から始まる“月も朧”!
舞台が回り、“こいつァ春から”のくだりで、正面に来る。
倒れそうになりました(興奮して)

でも“御厄はらいましょう厄落とし”…あったっけ…?


そして大詰、個人的には大詰そのものが蛇足だと思ってますが、盛り上がるためにまあ必要かと。

よいこ、よいこ…と(何故か椎名林檎が)歌う歌が、さんにんに降り注ぐ。
三人の死骸を撫でるように雪が降る。
美化も浄化もいらないのですが。
地獄に落ちればいい。
本当はそう思ったのですが。


そして、一番の疑問点。
どうして吉祥院裏のおとせ十三殺しをやらないの…?

あれを取って冒頭の太郎右衛門のシーンを加えた意味がわからん…どうしてなのかんざぶろう!(串田さんの意図じゃなくて勘三郎の希望であるよーな気がして仕方がない)
実は和尚的に一番大きな見せ場だと思うんですけど。
太郎右衛門たのしそうだったからなああ…


2001年の時は、おとせ十三の首を持って走ってきた和尚の回想として殺しの場面が入っていた。
通常はおとせ十三と和尚のやりとり→吉祥院裏→お嬢とお坊の心中未遂→三人吉三が揃う、という順序。

吉祥院裏の場は、私が一番好きなシーンでもあります。でもあんまり上演されない…。
四谷怪談で三角屋敷の場が一番すきなのですが、あまり上演されない…。
どうしてだろう…


吉祥院の裏は墓場になっている。
おとせと十三は恋人どおしなのですが、ふたりは実は双子の兄妹なのです(もちろんふたりは知るよしもない)。
この時代、ふたごは“畜生腹”と言われて、忌み嫌われていたため、双子が生まれると片方を養子に出したりしていたそうですが、伝吉は男の子の方を捨ててしまったのです。

まさか出会うはずがないと思っていた二人が出会い、恋に落ちてしまった。

ふたりが血の繋がりのある兄妹だと知った和尚吉三が、ふたりを墓場に呼び出し、出刃でわけもわからない二人を殺そうとする。
必死で抵抗するふたりの着物には、いつの間にかぶちの模様が浮かび上がって、そしていまわの際に手を合わせようとした時、獣のように変形してしまった手がもうあわせられない。

ただ純粋で優しいふたりは、父親のはらみ犬を殺した因果のために六道輪廻のひとつである畜生道へ落ちていくのです。
“畜生のたたり”と言われるように、伝吉が孕み犬を殺したから、伝吉はもとより死に、何の罪もないはずの子供たちも死んで行く。

…というシーンをどうしてやらないんだろう。


とはいえ、この物語において、罪に対する罰は、罪人に課せられないのです。
何の罪もない、罪人が愛する人々の上に非情に降り注ぐ。
それを見て、罪人は罰よりも深く苦しむことになる。


見たことのある図式…まるでエリックとキャリエールの物語。

posted by 海野モノトモ at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 歌舞伎 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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