2007年07月14日

年に一度 京都の夏は祭りがよく似合う…あさきゆめみしU

 

16時公演は仕事先の人をお連れしたりだとかお知り合いに急遽来れなくなった方のピンチヒッターをお願いしたりしたのですが、イティコ先輩は割とわけ隔てなく普通に“すみれちんフリークス賛美”をするので時々どきどきいたします。
大王を正統派男役だと思ってる人だったら撲殺されても文句は言えないと思うのですよ…。
えっとその節はすみません…

そしてかの人が7月14日(フランス革命だってさ)の日付入りのお宝を手に入れていて、うらやましいったら。
わたしもすだまちゃんと心を通わせてみたいものだ。


 



いまさらですがネタバレであります。


愛されたい源氏でした。

藤壺には背伸びして男になって接している。
藤壺も“女”として源氏に対峙している。

一方、紫へは若干の甘えが見えます。
育ちきってない息子と母親みたいで。
女三の宮を嫁にもらったときも、すべてを受け入れてくれる紫に対して嫉妬してほしくて嫁にしたようにすら感じました。
彼女と仲良くしたいですという紫の上に、ほっとした顔と同時にどこか残念そうな顔をしていた気がします。
雨夜の品定め(っぽいシーン)で、嫉妬深い女は大変だが嫉妬すらしてくれないのも寂しいと男連中が言ってたのを不思議そうに、どこかうらやましそうに聞いていた源氏ですが、その言葉を実感したのかもしれない。

また、藤壺が死んだ時の慟哭は命をかけた恋の喪失の絶望であるのに対し、紫の上の死はただ大切なものをなくした時の茫然自失の悲しみである気がします。


そして祭りのシーンも大好きです。

祭りの喧騒の中で渦巻く思い。
夏祭浪花鑑の泥場を思い出す。
祇園祭りの夜、喧騒に紛れて団七は義父を殺す。
祭りというのはやはり非日常をあらわすファクターとして胸を躍らせるものがあると思います。

源氏は、祇園祭りの喧騒に煽られるように、怒りと嫉妬を募らせていく。
それは女三の宮を愛しているからの嫉妬というより、柏木への嫉妬であり怒りである気がしました。
彼の若さへの、そして彼の命をかけた恋への嫉妬。
そして、自分自身の存在が柏木の恋の障壁になって、結果的にその恋を燃え上がらせる“燃料”になっていた。
そのことに対する自分への苛立ちも含めて。

自分が失ったものを持っている彼への嫉妬。
源氏は、そうやって愛すべき人を失っているから。
泣いてました…怒りというよりも、自分も昔は持っていた強くて熱い想いを失くしてしまったことに対しての涙かもしれない。


私は今回の演出、嫌いではないのですが(母子画とかとんでもオスカルとかに比べたらうっとりするくらいきれいな演出だと思うよ)、もしかしたらそれは初演を観ていないせいかもしれません。
初演時と比べたりする楽しみはありませんが、最上の源氏だと素直に思えるのは幸せなことなのかも。

フィナーレもわりとカ・イ・カ・ン☆になってきた。
我ながら見事なM気質。

posted by 海野モノトモ at 16:00| Comment(0) | TrackBack(0) | あさきゆめみしU | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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