というわけで(…)、起きたら11時40分で、でも近くの安ホテルに泊まっていたのでどーにか間に合いました。
昨夜の会合は楽しすぎて忘れていましたが、そーいや私徹夜してたんですよね…
どうりでよく眠れるはずだよ(いつでもよく眠れるんですけどね)。
印象的だったのは、嫉妬の歌のシーン。
源氏は、例の手紙を見る前に、すでに女三宮の妊娠は不義であり、自分の子ではないとわかっていました。
ただ、彼女の相手が誰であるかはわかっていない。
そして不義の子を身ごもった女三宮には怒ってなかった。
もちろん愛してもいなかった。
という言い方に突き放すような鬼畜味があり、ぞくぞくしました(今までは子供をあやすようにわりと優しく言っていたような気がしますが)。
しかし手紙を読んで相手が柏木だったことを知り、纏う空気がガラリと変わる。
柏木をかわいがっていたからこそ、自分のメンツをつぶすようなまねをした柏木がどうしても許せない。
そういう悲しい怒りに満ちていた。
平安の世では、男子は浮気しまくりで、女人は耐えるのみというイメージがありますが、実はそうではなかったようです。
女からも気になる男には片っ端から文を出して複数の男を御簾の中に誘い込むことをしていたらしい。
そういう自由恋愛の風習の中での各々の“愛”の在りようを考えてみると、源氏の愛し方、愛され方がどーにも切なくてやりきれなくなりました。
そして、ぬるく楽しんでいたフィナーレですが、デュエットダンス的な白い衣装は藤壺の宮と源氏をイメージし、ラストの黒と紫の衣装は紫の上と源氏をイメージしているのだとやっと気づいた…(それまでわりと目をそらし気味だったもので)。
白い衣装でのデュエットダンスでは言葉はない。
ただ踊り、ふたりで寄り添って目を閉じてせり下がる。
言葉にしてはいけない恋。
一方、黒い衣装に着替えてきたときは、あなただけが静かに微笑んでいてくれるというあの紫の歌を歌い、笑顔であやねちんを迎える。
いっぽくんに紫の上の歌を歌わせた時点で“他意も意味もないフィナーレ”だと思っていました…。
千秋楽は必死で観ることにします。
どうでもいいのですが、最後のあやねちんの衣装がマラケシュでイヴェットがパトロンを殺した時に着ていた服に見えて仕方ない…。
そうそう気になるお嬢さんをふたりほど。
■さあや嬢
私の中では“ドイツ生まれのふうちゃん”(洋風のふうちゃんというか)という印象しかなかったのですが、ここへきて面白い進化を遂げているのがさあや嬢。
いつも聖母のような慈愛に満ちた微笑みを浮かべているのですが、慈愛が溢れてさらに捩れて、時々狂気が透けて見える気がするのです。
聖母のような微笑みで子猫をなぶり殺しをしていても、さもありなんと思ってしまうような。
須磨の水の精霊はさあや嬢ばかり見ている。
ものすごく水っぽいのです…美しく、寄せてはかえる波のように優しいが何もしてくれない感じが。
穏やかで、でも触れてみると痛いほど冷たい水の流れのような、柔らかだけれども無機質な微笑みに今夢中…。
■こっきー
弘徽殿の女御をやっているお嬢さん。
楽園の歌手をやっていた時にはぼんやりとしか顔がわからなかったのですが、この公演で完全認識。
そして溺愛認定。
なにしろ肝の煮えっぷりに萌えました。
最近煮えくりかえってて、顔がくるくる変わってかわいいのであります。
じゅりあ嬢はぽやっとしてそう。
一花嬢は腹にイチモツありそう。
きらり嬢は小賢しそう。
こっきーは気が強そう。
い……いとおしすぎる……!!
みんないとおしい!!!
おまけ;桐壺更衣が小山三さんに見えてしかたない…