2007年12月10日

天使を愛でる会


大王のお茶会であります。


結局駆け込みの3件を片付けてたらぎりぎりになって、タクシーで会場へ。
タクシーの初乗りが値上がりしたのは原油高の高騰のせいなのか?

時事に思いを馳せつつ着いたはいいものの、建物内で会場までの道のりにまた迷う…
半泣きになってどうにかたどり着きました。


例によってなんも覚えてねえです。
わかったのは大王が世界遺産級に尊いってことだけです…いやまじで。


…ちくしょう…すきだ…だいすきだ…!


あーでも楽しかったなー。


12月25日以降の話というのは具体的に出なかったけど、やはり新しい世界に希望と不安がない交ぜになっていた模様(ごほんにんは“その段階は過ぎました”とのことでしたが)
「宝塚の生徒です、と言えばそれで全てが納まっていたのが、卒業したらひとりで世間放り出されることになる」というようなことを言ってました。

大王がきちんと“宝塚歌劇の生徒であるということ”がどういうことなのか俯瞰的に理解していて、ほっとしたやらびっくりしたやら。


“何にも知らないのに何でも知っているにんげん”というのが世の中にいるのだそうで。
大王ってばそれっぽい…気がする(見ている限り)。

大王はいままでの悲喜交々を糧として今在るのでしょうから、所謂フツーノヒトタチが普通に生活していたのではたどり着かない境地を知っているのだと思います。
でもさ…絶対切符の買い方とか、知らないと思うの。
切符は言い過ぎかもしれないけど、多分都営大江戸線とか知らなそうだ…


でも知識を必要とせずに真実と本質を掌握できる人なのだろうなあと思います。
賢い…というか、なんというか聡明な人だなあと思う。


宝塚は閉鎖された特異な“花園”である。
長い間その中で咲き誇っていると、そこが“花園”であったことを忘れてしまうと思うのです。
花園の外も花園が続いているのだと思って外に出てみたら荒野だった…そんなんだったら、咲くことが出来ない。
荒野を荒野なのだと、認識しなければ。

大王自身がその認識をしっかり持っていることがわかったから、どんな道を選んでも大丈夫だなあ、となんとなく安心したのでありました。


それにやっぱり大王の舞台には業を感じるのです…。

舞台に役という鎧を着て出て人もいる。
役の形に自分を変化させるひともいる。

大王は自分自身を脱いで役になる、というか。
なんか解放されている気がするのです。

時々、人様には公に見せないほうがいいような狂気すらもペロンと見せちゃったりする…(そこが好き)。


そうやって舞台に立つひとは、舞台から離れられないと思う。

…と、信じたいなあと思いました。
 
posted by 海野モノトモ at 04:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 春野寿美礼 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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