2006年06月20日

若さは青さだ!そして馬鹿さだ!!…ボーイズレビュー2006 HOLD ON

「ボーイズレビュー2006 HOLD ON」を観に行きました。
池袋は不案内で、アクロスの時と同様にちょっと迷った挙句、おのぼりさんみたいに上を向いてキョロキョロしてしまいました。

グリーンちゃん、元気に女の子してました。
よかった…ただそれだけがよかった、と思いました。彼女の鉄琴みたいな澄んだ歌声は、やっぱり女の子役の方が無理がなくて気持ちがいい。

悪人のいないぬるい話。なんか眩しくて背中の真ん中が痒くてちょっとヒリヒリするような青春群像劇…。りぼんの投稿作(しかも佳作どまり)みたいでしたが、皆楽しそうだった。少年たちに囲まれたグリーンちゃんを見るのはとっても面映かったけど。
しかも、グリーンちゃんやりおった!的なセリフ間違え(名前の呼び間違い)などもあり、それこそグリーンちゃんクオリティだと思った。

名前の呼び間違いって、役に入りきっている時におこる気がします。
覚えたセリフを口にしているだけだったら間違わない。
相手がその役名の人間に見えているからこそ、自然に間違える…ような気がする。
2匹犬がいるのですが犬の名前をよく呼び間違えます…だから気持ちはよく分かる(ちょっと違うか?)。
まあ、何しても愛しいってことです。

普通にフィナーレナンバーがついていたのですが、宝塚を見慣れていない人たちからしたら、アレはどう思うのでしょう。
まあ私的には満足です。フィナーレでのグリーンちゃんの白燕尾が目にまぶしかった。
ああグリーンちゃんが真ん中に立つとこういう感じなのか、と思いました。

 
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2006年06月13日

追憶のメロディ…メタルマクベス

 

青山劇場にてメタルマクベスを観劇。
メタル、メタルは懐メロですよ!
なんか懐かしくて、おうちに帰ってからむかし聞いていたメタルを引っ張り出してきてしまいました…


とても、不思議な作品でした。
まず第一に、メタルを青山劇場で、おとなしく座って聞いているという違和感。
お尻がムズムズしました。
メタルって、アレじゃないの?ヘドバンしたりして次の日ムチウチになるのがクオリティじゃないの?

作り手のメタル好きの心意気は痛いほどわかったけど、彼らは1000人の客がおとなしくメタルを聞いている空間を作りたかったのでしょうか?
カーテンコールでメタルのぎゅいんぎゅいんのギターにあわせて客が手拍子をしているのは、メタルの美学としてはいいのでしょうか。
イマイチ意図が見えない。

構成としては、現代的な話し言葉とマクベスの古典的なセリフが面白いほど融合していて、引き込まれた…けど4時間は長いでしょう…。

なぜ長いかと言えば、ふたつの世界を交互に描いているから。これは効果的だったのでいいのですが、問題は本編とは関係ない人物たちがはびこるギャグシーンが多すぎるということでしょうか…。
新感線は役者芝居であるように見受けられたので、劇団ファンだとしたら、それこそがリピートする意味なのは痛いほど分かる。私がいくら大王ファンだとしても、花っ子たちに活躍してほしいのと一緒だと思います。
でも、ギャグシーンの入れ方がいただけないのです…吉本風の“3回繰り返すギャグ”がおおい…。
ギャグだけで見せるならいいですが、複雑なストーリーの中に挿入されると足踏み感が否めない。
早く先を追いたい!と思ってイライラしてしまうのです。
1980年代のメタル全盛期の時代と近未来のふたつの世界が平行して描かれていき、そのふたつの世界が、『シェイクスピアのマクベス』によってひとりの男の狂気として結びつき、溶け合っていく。
怒涛のカタルシス!
……だからこそ、ギャグ抜きでそれだけに集中して観たかった。

私は本来ギャグが嫌いな人ではないのですが、今回の芝居のギャグの質が私は生理的に受け付けなかったからかもしれません…劇中歌のメタルのどうしようもないダジャレは素直に笑えたんですけど…。
きたないはきれい…ただし俺以外!ってくだらねー!いとしい!
私はくだらなさを愛するので、CD買っちゃったもの。

でも、どうぶつの死骸、吐瀉物をギャグにするのがダメなんです…しかも3回、もしくは5回繰り返すんですよ、ご丁寧に。もらい○ロしそうになりました。
私、吐瀉物ギャグはイセリナでギリギリなんですもの…@神聖モテモテ王国…。

あとで同行者に「途中で席立っちゃうかと思った」と言われました…3センチお尻浮いてました…

それはともかく、特筆すべきはマクベス夫妻。
松夫人と内野マクベスがどんなにわちゃわちゃしていたギャグ場面でもすぐに本筋に引き寄せる力があった。
本当にすごかった。

とくにまつたか!
私は今までマクベスを何度観てもマクベス夫人の狂気の意味が分からなかったんですよ。
夫に殺人を促し、欲しいものを手に入れたのに、罪の意識に苛まれ、手を洗い始める…(どこかのポルキアさんみたいですが)。

前半と後半のキャラが違いすぎやしませんか。
なによりも、彼女の狂う大きなキッカケが分からなかった。
にんげんはそんな簡単に狂うのか、とすら、思っていました。

今回観て、彼女を発狂させたのが“孤独”だったのだと始めて分かりました。

ふたりで王を殺した。
夫が怯えている。怯えた夫は夫人の側から離れない。彼女は怯えきった夫をずっと見ていなければならなかった。

ふたりで犯したはずの罪だったけれど、彼女は共犯者を亡くし、孤独になった。

罪をひとりで抱えているうち、罪の意識が2倍にも3倍にも膨れ上がっていき、ふたりぶんの罪を背負って、背負いきれなる。
そして、狂ってしまう。

凄絶だった。

もーまつたかは凄い…狂ったその表情が本当に凄い。
からだを痙攣させて、目を見開いて何かをつぶやいている姿。
この夫人を毎日演じているまつたかの役者ぶりったらないですよ。ものすごいひとだ。

 
からだとこころが乖離してしまった夫人を、バカップルだった時と同じくらいやさしく介抱するマクベスがまた切ない。


そして、夫人が狂って初めてマクベスは気付くのです。

ひとりになった、と。

そして、彼は狂ってしまった妻を抱いて、この上なく正気に戻る。
正気のまま、どこか哀しそうに、暴走していく。
確信犯的暴走。
そして、妻が死んだことを知り、生きる意味すら見出せなくなってもまだ、生きることにしがみつこうとする。

この夫婦のすれ違いぶりが切なくて…
ああマクベスって名作なんだな、って申し訳ないけど始めて思いました。

シロウを観たときにもものすごい感動したんだけど、あの芝居もいらないギャグが多かったなーと思ったのを思い出してしまった…
でも、最終的にはものすごいカタルシスがあり、なんか“いいもの観たな”感があるんで、また観ちゃうんですよね…侮れないな新感線…。


余談ですがうっちー、出てきた瞬間に薄汚れたトートかと思ってしまった…
エリザで鍛えたその喉はメタルを歌うためだったのね、と言いたくなるほど見事なシャウトでした。
闇広メタルバージョン、歌ってほしい…

 
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2006年05月28日

真実なんてこんなもんさ…日生エリザベート千秋楽

もう何度も観たエリザベートなので、改めて筋を追うこともなく、ただ感慨に浸っていました。

舞台にはカプツィーナ霊廟の棺のモチーフの塔が3つ。
棺がカフェになり、道になる。

私はエリザベートを見る前に、ウィーンでカプツィーナ霊廟に行っています。当時改修中で、誰もいなくて、薄暗くて、かび臭くて、寒くて、一緒に行った会社の同僚とほとんどしがみつきあうみたいにして回ったのでした…。
ルキーニが首を吊っている冒頭を見るたびに、あの“寒さ”をいつも思い出します。

思えば、春野寿美礼大王のエリザベートを偶然見て、エリザベートという作品が好きになり(この時はまだ大王が好きなのかエリザベートという作品が好きなのか、自分の中で答えが出てなかった)、次の年の東宝のエリザベートに通ったのでした…私は、この時の電飾エリザが一番好きでした。

宝塚のエリザベートがシシィとトートの愛だけれども、東宝では、そうではない。
テーマソングは愛と死のロンドでもなく、私が踊る時でもなく、『キッチュ』。

ルキーニが煉獄の裁判官にエリザベート皇后を殺した理由を聞かれ、未だ昇天できない魂たちを使って、当時を再現させたのが『エリザベート』であるわけです。
それは宝塚版も同じだけど、宝塚版はシシィとトートがどうやって結ばれたか、という過程を見せていくのに対し、東宝版はどうやってハプスブルクが滅んでいったかということを軸に見せていくわけです。

そういう状況における“即席”感と、ルキーニ自身が煉獄の裁判官達に対して抱いている“アホらし”感、そして“キッチュ”感が、電飾の画面に現れていた気がするんです。
それとは別に、ゾフィが死ぬシーンでハプスブルクの紋章が腐食し、剥落していくのを電飾で見せているのも秀逸だった。


一生懸命生きている人たち、愛したり、反目しあったり、思想を貫いたり――そして、謎が残る。


みんな色々大げさに言うけど、真実なんてそんなもんさ。そう思ってた方が幸せだろ。


というルキーニのせせら笑いが、この物語のデカダンスをいっそう引き立てているのかもしれません。


なんだか色々グルグル考えながらしみじみしつつ、幕。

カーテンコールもカンパニーを一人一人紹介してました。何故かグリュンネが司会。
以下カーテンコール雑感。

山口閣下がフルってました…。まず、出てこないんですよこの人。
しかも袖で「やだ〜〜〜でたくない〜〜〜」ってさんざんごねた挙句(ほんとにでっかい声で言い続けてたんですよ…もちろんネタだけど、ちゃんとしたファンは「カワイイ〜」って思うかもしれないけど、私はちょっとハリセンで頭叩きたくなった…)出てきたらロクなこと言わんし…。
いいよそれが山口クオリティだね!

初風さんの姿に涙…
パクちゃんのコメントが、かわいかったな〜。
禅さんとそうまさんが必要以上に仲がよかった(前日に楽をむかえた出演者達も“総出演”だった)。


誰も言及はしなかったけど、エリザベートの一時代が終わったという充実感と寂寥感が舞台から漂っていたように感じました。
もうこれで、このカンパニーのエリザベートを観るのは終わりなのかもしれない。
エリザベートが次に上演される時は、別のキャストなのかもしれません。
私が感じただけですが。

もしそうだとしても、私は何もかも受け入れて楽しむよ。
ラストシーン、棺に入った一路シシィの一筋の涙を見て、そう思いました。

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2006年05月27日

飛ぶがいい、鴎よ…日生エリザベート

初日ぶりのエリザベート。今回は山口閣下でした。
でかいなー山口閣下。シシィとのやりとりは、まるで弱いものいじめみたい…。
とにかく魅惑のウィスパーヴォイスで劇場中をとろかしてましたが、帝劇の時みたいなバズーカみたいなのも聞きたかった(特に最後のダンスで)。
この人の場合、「演技がどうだった」というより「今日の歌い方はどうだったか」というところで楽しむタイプのひとなので、そういう“お楽しみ”が欲しかったのも事実。日生サイズに合わせて声量も調節しちゃったのかな。
日生をこわすくらいの声で歌って欲しかった。

山口閣下、とにかくこの方、演じない。
トートの扮装をしてトート閣下と呼ばれていても、山口祐一郎でしかない。この方、生まれる時に大きな大きな歌の才能を授かったがために、他の才能(ダンスとか)が持ちきれなくて置いてきちゃったのでは…と思うのです。
でも山口祐一郎そのものにものすごく魅力があるので、いつまでもそういう山口閣下を見ていたいと思うのです。困った人だよ。困りながら愛しくて仕方がない人だよ…。
ファンではありませんが、いつも生ヌルく冷やかしつつ愛しています。

 
今回はWキャストについて(トート以外の)。


■ルドルフ。
浦井くんが!!浦井くんが〜!!
驚きますね…この人には。
最初はシシィが助けないならあたしが助ける!と、観客の80パーセントがそう思った(であろうほどの)はかなげなルドルフだった。革命家達にそそのかされて自分でもよくわからないまま革命家達の神輿に乗せられていたような。
でも、どんどん強くなっていって、自分の意志で革命への道を選んでいた。
そして、きれいだけど細くて、つぶれるかどうなるかと心配していた声が、どんどん澄んで、太くなっていく。『シンデレラ・ストーリー』、『アルジャーノンに花束を』等々を経た今回、閣下との闇広は絶品でした。

パクちゃんは、逆に軍人ルドルフから、頼りなげな少年ルドルフへの移行。見た目は真面目一徹なルドルフでなのに意外に頼りないのも面白い対比でした。
死ぬ時にぶるぶる震えて死ぬのは初演から変わらず。
でも、初演は死ぬのが怖いというより、志半ばで倒れることに悔しそうに見えたけど、今回はただ純粋に怯えているようで、次の場面でのシシィの嘆きが真に迫ってきました。

■フランツ。
まるでマザコン皇帝のそうまさん。
自分の結婚がダメになっても、ママのせいですよ。
ほんとうに、ダメ男。
でもそれこそが、フランツそのもの。
フランツがマザコンでダメ男であればあるほど、シシィの足掻きや苦しみが冴えていました。

一方賢帝にしか見えないのにどうして…な禅フランツ。
思慮深く、シシィのことが好きすぎるフランツ。
悪夢の後で呆然と顔を上げる絶望に枯れ果てたフランツが、閣下と皇后が抱き合うのを見ながらとぼとぼと黄泉の国に帰っていく。その背中を見ていると涙が止まりません。


■ゾフィ。
オーストリアのために鬼になった寿ゾフィ。
息子を皇帝にしたのも、オーストリアを治めるため。息子を言いなりにしたのも、オーストリアを治めるため。
ルドルフに厳しく当たるのも、これからのオーストリアをになっていく男にするため。
一国を背負った女性の鬼気迫るものが登場から退場まで漂っていました。

一方、皇帝フランツ・ヨーゼフの母である初風ゾフィ。
息子に立派な皇帝になって欲しい、ということだけを考えている慈愛に満ちた皇太后。
自分のしてきたことをわかってもらえなかったこと、それが裏目に出てしまったことを悔やみながら死んでいくその姿が本当に切ない。


どのダブルキャストも「こっちの方がいい!」と言えない位、それぞれの個性で出来上がっていて、全然違うのにどちらも“大正解”と言っても過言ではない。
それこそが、Wキャストの妙だと思います。
同じ脚本で同じ状況で同じせりふを言ってるのに、どうしてこんなに違うように感じられるのか。
そういえば、同じことが特出アンドレでも思いました。

役者ってすごいなあと思う次第です。
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2006年05月03日

たったひとりの人間なのに…日生エリザベート

待ちに待った東宝エリザベート、武田トートの初日。
楽しみにしていたのです。
この方の舞台を観るのは…毛皮のマリーぶりではないでしょうか。

ゴンドラキター!
と思ったら、メイクが…あれ??
チラシは素敵だったのに?なんか武田氏の美しさを伝えてこない…。
というか、超人間的な感じがしない…ドラマとかで見る武田氏とあんまり変わんない感じでした。

いっぱいいっぱいなのが客席にも伝わってきて、カンパニーが一丸となって武田トートを応援しているのもわかって、なんだか私は物語よりも、武田真治という役者がどうやってトートを演じるかだけを見てしまいました。
嗚呼、この感覚ったら既視感…そう、大王のアンドレを観たときと…。

ま、初日ですからね。
甘く見てしまうのもしかたがないかと。
でも、いいたいことは山ほどあります…主に小池先生にな。

たしかに、エリザベートというミュージカル作品で山口トートの向こうを張るのは大変だと思う。
いくら山口トートには歌しかないと言っても、彼には歌があるのだから。
三角に動いて歌おうが、象のような緩慢な動きであろうが、彼の歌は素晴らしいから(あーほめてますよ。好きなんですよこういう不器用な人)。
それに、再演に再演を重ねた結果、カンパニーが出来上がりすぎているくらい出来上がっている。
そこに放り込まれるのは並大抵のことではないのは分かります。

やりきれないのは、背伸びさせている感がつきまとうこと。

トートが初めて出てきたとき、氷の微笑もとい、凍りついた微笑を張り付かせていて、いきなりいたいけな感じでした。
強張るなら笑わなくていいのに。
いっぱいいっぱいのトートでもいいと思う。

スタンダートなトートを山口さんにやらせたのとは逆に、ロッカーで攻めてきた内野トート。これは内野さん自身の、再演を重ねることによる掘り下げカも知れないけど、それを無理に踏襲する必要はないと思うのです。まるっきりうっちトートの焼き直しでしかない。
武田トートは内野さんのギラギラトートより、さっぱりしているんだから、同じような演出を当てるのは得策ではないと思う。


そして、小さい(体格が)。

というか、小さいのはいい。たとえ一路シシィよりも小さくてもいい。
内野トートも大きくはなかったもの(終盤ありえないくらいムキムキになってたけど)。今回の、背が低いということをどうにかカバーしようとする振り付けや演出はどうかと思う。
なるべくほかの出演者と接触させない、一昔前のギャルみたいな厚底ブーツをはかせる…等、見るからに手抜き演出。
背が低いことをカバーする演出じゃなくて、背が低いことを活かす演出するのが、演出家の役割だと思いますが。
小悪魔トートでいいじゃないか。シシィの回りをウロウロするティンカーベルみたいなトートでもいいと思う。
唯一それが功を奏していたのが、カフェのシーンのシルクハットと最後通告のシーン。

ちなみにほかの演出は変わってないんですよ、去年の9月と。まるっきり変わってないんですよ!!
帝劇でやっていたものを日生にそのまま持って来たせいで、舞台から「ギュウギュウ」という音が聞こえてきそうでした。
エリザベートならかけとけば客は入るだろうという魂胆が見えみえですが、それで入ってしまう私って…!悔しいよう。

ちなみに、歌はハイドちゃんだった。ハイドちゃんは私の中ではビジュアル系ロックバンドのボーカル(そう、彼らがどう言おうとも、どう主張しようとも、彼らは私にとっては“ヴィジュアル系”なんですよ)。…。…。ううん頑張れ…。
残念ながらあと4回は全て山口閣下なのです。ものめずらしさのせいか、武田トートは取れなかった…
 
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2006年04月08日

ホテルはリバーサイド…井上陽水@長野


川沿いリバーサイド、食事もリバーサイド………てことで、長野に行きました。井上陽水のライブです。
東京がうららかな春の日だったので、うららかな格好で行ったら凍死寸前に…なんですか1度って。

ライブは最初はアコースティックで始まる、前回と同じような構成。
曲目リストをメモってこなかったのでアレですが、青空ひとりきり・勝者としてのペガサス・夏まつり・心もよう・飾りじゃないのよ涙は・リバーサイドホテル・いつの間にか少女は・ジェラシー・感謝知らずの女…などなど私の好きな歌をたくさん歌ってくれました。新曲も2,3曲あったけど、タイトルがわかりません。
嘘つきダイヤモンドがないのがただただ寂しい。
あぶらの乗り切ったミュージシャンたちが絶妙なセッションを見たかったよ…。
そ・し・て、リバーサイドホテル!
チェックインなら素顔を見せるだけ〜って、聞きながらニヤニヤしちゃいました。
いつか書きましたよね、あやぶきまおたんが素顔でチェックイン…(3月18日の日記)。

ゆるゆるダルダル〜なライブでした。前回(2年前?3年前かな)よりもゆるゆるぶりがパワーアップ…!
スタ−パインズとかで酒でも飲みながら聞きたいね…大ホールでかしこまって聞く感じでもない。でも無理だろうなあ…ハコが小さすぎる。オーケンのアンプラグドライブ、すっごく楽しかったんだもん。

アンコールでの夢の中へロックバージョンでは総立ちがお約束なのですが、おいちゃんおばちゃんが少年少女になってノリノリ。年代ならではの何ともいえないあたたかいノリ。それがとってもチャーミングですごく楽しいの。

次の日は善光寺参り…をしようと思ったのですが、あまりに寒くて、弱ってきたので途上でそばを食べることに。
滅法おいしかったんだけど…冷たくて…冷たくて…寒いクセにざるそばを食べた自分を責めたかった…でもそばを味わうならざるっておもったんだもん……。
身も心もチルド状態になって帰ってきました…。
東京はそんなに寒くなかったよ。日本って南北に細長いんだと思い知りました…。
おうちに帰って寝ました。ふー…。

posted by 海野モノトモ at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 舞台&ライブ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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